プロレスラーはもっと尊敬されていいのでは? 30年来のファンが語るプロレスの魅力とは?

「プロレスって八百長でしょ?」その答えは…知らん!

画像:AIによる作成(てにトル)

 筆者が中学生のころ、友人の家にあったSFC版『スーパーファイヤープロレスリング』にハマっていました。週3から4くらい、放課後は彼の家に通い詰めていた記憶があります。それまでプロレスの存在を知ってはいたものの、試合を見ることはほとんどありませんでした。その友人はプロレスファンだったため、彼の勧めもあって深夜に放送されていたプロレス番組を録画して、見てみることにしたわけです。

 初めて見た試合は、全日本プロレスのスタン・ハンセン対田上明戦です。体の大きな2人がぶつかり合う姿に、すっかりプロレスの虜になってしまいました。それ以来、毎週のように週刊プロレスをチェックし、インターネットが普及してからは、試合結果をチェックしたり、YouTubeでプロレスに関する動画を見ています。

 プロレスが好きだと人にいうと、よく聞かれるのが「プロレスって八百長でしょ?」などといった質問です。内部事情については諸説あるものの、八百長だと思う理由もわからないでもありません。ロープに振られた選手が、そこに掴まればいいのに、跳ね返ってきますし、トップロープの上から人が降ってきた際にも、逃げるそぶりすら見せず大袈裟に技を受ける場面を目にします。

 ただ、プロレスラーが技を避けてばかりいたら、試合が成立しないのも事実。ファンは避けあう姿を見に来ているわけではなく、ど迫力の攻防に一喜一憂し応援したいと感じるのです。そう考えると、プロレスラーはファンがどうやったら喜ぶかという点を、常に意識していると言えるでしょう。時にはケガをしたままテーピングをして試合をすることもあります。傷だらけの体で、ファンのために技を避けずに喰らい続けるわけです。そんなプロレスラーの意地と意地のぶつかり合いは、時としてファンの涙を誘うのです。

 野球で例えると、ピッチャーが変化球を使わずにストレートだけで勝負をするというようなものかもしれません。オールスターで見た、藤川球児とカブレラの対戦が、まさにそんな場面でした。2人の勝負は、未だに語り継がれていますが、私からしたらプロレスの試合は常にそんなものなのです。

 傷だらけになっても、ファンのために体を張るプロレスラーは、もっとリスペクトされてもいいのではないでしょうか。






関連記事一覧